日本・製造業は製造拠点(工場)を外国に移している。
→「生産のグローバル化」
きっかけ
1985年9月「プラザ合意」による円高
米・双子の赤字(財政赤字、貿易赤字)
ドル高 → G5(日米英独仏)に、ドル安政策を行なう合意を取りつける
(NYプラザホテルにて)
(日・中曽根首相、竹下大蔵大臣。
米・レーガン大統領、ベーカー財務長官。
日本がアメリカの赤字解消を引き受けたと解釈された。)
以降ドル安に。(円高に)
日本の輸出業は急激に悪化。海外シフトが始まる。
(引用:JPY(円)- 外国為替FX長期チャート集)
90年以降も円高は止まらず。
93年クリントン政権発足
米・大きな対日貿易赤字
通商交渉(貿易分野の外交交渉)で「円高カード」を使う。
→「円高を容認する。(円高が必要)」とメッセージ。
日本細川首相、黒字削減の数値目標にノー
「日米関係は成熟した大人の関係になった」
→献金スキャンダルで退任→村山首相に。
しかしますます円高に。。
95年4月 最高値 79.75円
(2011.10 76円)
「日米貿易摩擦」
米赤字、日黒字。
米→日本を激しく批判。
やわらげるため米に現地法人を作る
→米現地雇用を生み出す。
00年頃から中国を生産拠点として活用
「海外現地生産比率」
90年4.6%
→09年17.8%
過去最高→14年20%見通し
フロンティア市場
中国などの有望な新興国市場
1.売上を伸ばすため
2.人件費コスト
また非製造業(小売、教育、保険)も海外へ
産業の空洞化の懸念
一部引用:文明の目次録
<今日のまとめ>
・85年プラザ合意きっかけで円高に
・輸出業者苦しくなり海外シフト